2010.12.08 Wednesday
J.D.サリンジャー ライ麦畑でつかまえて
(記事を書いている最中9日になっていました)
いつもこの時期になると彼の音楽がどこからか聞こえてきますね。わたしは特にジョン・レノンの信奉者というわけではありませんが、彼のアルバムの何枚かは好きで聴いていた時期がありました。彼が平和主義者であると同時に音楽家として多くの人に影響を与えたことも当然知っていました。
だから湾岸戦争や9.11があった際に、「イマジン」という曲がアメリカの放送局で放送自粛するというニュースを聞いたときに少なからずアメリカという国の本質を理解できたような気がしています。
ジョン・レノンの死は多くの人の悲しみだけでなく、死の真相究明の論議を呼び、政府による暗殺説なのか、射殺犯であるマークチャップマン単独犯説なのかいまだに語られています。
チャップマンはレノンを狙撃した後、その場でサリンジャーの
「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいたことはあまりにも有名ですが、これを読めば犯罪への動機が理解できるはずだと彼は語ったそうです。
わたしも多感な時期にこの本を読んでかなり共感した記憶がありました。大人になったいまでは多くの人が多感な時期には不安定な精神状態で、主人公に近い経験をする人も多かったのではないかと思っています。
チャップマンは人生においてある挫折をし絶望感を抱いていたとも聞いたことがあります。
この小説の主人公ホールデンは何か大きな挫折をしたわけではなく、大人の世界に片足を突っ込みながらも大人になりきれず、敏感すぎる複雑な感情は大人への嫌悪と侮蔑となり、既成の価値観にしばられず生きていこうにもみずからの価値観を確立できていないがゆえの不安定さが描かれている。
わたしはまさにジョンレノンがホールデンのように感じることが何度もあった。彼もホールデンだった時期があるはずだと。
あるいはチャップマンも同様かもしれない。
そして恐らく両者とも大人になってもホールデン的なものから脱却できなかった人たちのような気すらします。
レノンはアメリカという国の現実を認められず自分の理想のために死ぬまで戦い、チャップマンは自分の人生における現実を受け入れることができずに凶行に及びました。
この小説を書いたサリンジャーはアメリカの保守層や世間から非難を浴びることになり、それによって隠遁生活をするようになったといわれています。
大人になるということはどういうことなのか?
全てはアメリカという国で起きた現実。
いったい何が狂気だというのか?アメリカという国では。
そしてこの国はいまだに狂気を生み出す土壌であることはいうまでもないだろう。
両足を大人に突っ込んだ今、大人として思うことは、大人のライ麦畑の捕まえ役が必要だということだ。
大人だって崖から転げ落ちそうになったら、そいつをつかまえることは必要だし、−大人だって走っているときどこを通っているかなんて見てはいないこともあるーから。
我々は両足を地につけて、間違った方向に走っていく大人を捕まえなければならない。
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